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「バブル崩壊は何年から始まったか?」を遡って考える

「バブル崩壊は何年から始まったか?」を遡って考える

バブル崩壊は『1991年10月』ごろからとされていますが、“バブル崩壊が何年に始まったか”にはついては議論があります。バブルが何年に崩壊したかを知るためには、バブルがなぜ発生したのかとバブルがなぜ崩壊したのかを確認する必要があります。

 キーワード

  • 土地神話、公定歩合、プラザ合意

バブル崩壊は何年か

日本中がバブル景気に沸いた1,980年代後半、株価は天井知らずに上がっていました。1986年に13,000円台だった日経平均株価は、1989年には3万円台、89年の終わりには“38,915円”の最高値をつけました。しかしこれが株価のピークで、年明けから一気に暴落が始まります。1990年10月1日には2万円を割り、わずか9ヶ月で半分近くまで暴落しました。

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その後上がったり下がったりを繰り返し、1991年10月には25,000円台まで回復しますが、これ以降25,000円台に戻ることはありませんでした。1991年10月をバブル崩壊とするのは、このためです。(*バブル崩壊を91年3月とする場合もあり)

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ただこれは株価の話で経済学的なバブル崩壊です。実際にバブル崩壊が社会問題として捉えられるのは1993年頃であり、さらに人々がバブル崩壊の被害を被ったのは1,990年代後半から2,000年代前半です。

 

 バブル崩壊は何年?
バブル崩壊は91年。
*株価は89年末がピーク

 

バブル崩壊の原因は

バブル崩壊の直接的なきっかけは日銀による『金融政策』『不動産融資総量規制』です。ここでいう金融政策とは公定歩合の引き上げのことで、銀行が日銀からお金を借りるときの金利を引き上げました。日銀から借りときの金利が上がると、国民が銀行から借りるときの金利も上がります。金利が上がるとお金を借りることが出来ず、株や土地を買うことができません。

土地や株の価格上昇がバブルの原動力だったので、その原動力を奪われてしまいます。さらに追い打ちをかけたのが、1990年4月の『不動産融資総量規制』。この規制によって土地を買うときに銀行からお金を借りることができなくなりました。

ここで1つ疑問が残ります。確かに、『公定歩合の引き上げ』や『不動産融資総量規制』で土地や株を買うことができなくなりました。でもだからと言って暴落につながるのはなぜでしょうか? 価格上昇が止まるだけでは済まなかったのでしょうか……

バブル崩壊の原因

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  1. 公定歩合の引き上げ
  2. 不動産融資総量規制

 

バブルが膨れ上がった原因

バブルとは…「1986年から1989年にかけての資産価格の急激な上昇」のことをいいます。

”資産価格”とは土地や株の価格のことです。86年に13,000円だった株価が89年のバブルのピークには38,915円にもなります。3年で約3倍も値段が上がるなんて異常事態です。もちろんバブル当時は、異常だなんて微塵も感じず、イケイケどんどんだったんでしょうが。

キャプチャ出典:内閣府

さて、バブルのきっかけは日銀が公定歩合を5%から『2.5%』まで引き下げたことです。公定歩合は銀行が日銀にお金を借りる時の金利ですが、国民が銀行から借りる時の金利にも影響します。公定歩合が下がると、銀行から借りるときの金利も下がります。金利が下がることで、銀行からお金を借りやすくなり、お金を借りて投資を行う人が増えました。

 ただ、これだけではバブルは起きません。

当時日本には【土地神話】と言うでたらめな神話がありました。土地神話とは、

狭い国だから日本の地価は下がらない

今から考えると、おかしな話ですが、当時は本当に信じられていました。

「金利が下がってお金が借りやすく」「土地価格は上昇し続ける」ということで、

「もう土地買うしかないっ!!」と、我先にと土地が買われました。これがバブルの第1歩です。ただ、ここで止まっておけばバブルが発生してもあれほど膨れることはなかったかもしれません。

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さらにバブルを加速させる原因が『融資の甘さ』『ノリ』です。当時は銀行から簡単にお金を借りることができました。たとえ100万円の価値しかない土地を担保にしても、2倍の200万円のお金を借りることができたのです。土地を買ってはその土地を担保にしてまたお金を借りる。そして借りたお金で土地をまた買うというデタラメな循環が出来上がりました。

今だったら、「さすがに少し様子みとこう…」となりそうですが、バブルの『ノリ』の前では慎重は臆病かバカと同義語だったのかもしれません。土地の価格は急激に上昇し、さらに余ったお金が株式市場に流れ込み、株価も急上昇。バブルへGO。

日銀が公定歩合を引き上げ、金利が上がり株を買いづらくなった時には、時すでに遅し。実体以上に膨れ上がった資産価格は一気に反転。急降下です。株価が急上昇した時と、ちょうど反対の要領で売られていきます。

ただし、株価が下がっても企業がつぶれるわけではないので、90年始めでも不況を実感することはありませんでした。実際に企業倒産件数を見ると、90年は190万社で、91年に800万社です。企業の倒産と株価下落にはタイムラグがあるのですね。

そもそも日銀が『公定歩合』を引き下げなければバブルはあり得ませんでした。なぜ日銀は公定歩合を引き下げたんでしょうか。

バブルが膨れたのは…

      1. 融資基準の甘さ
      2. イケイケのノリ

バブル発生のきっかけはアメリカ⁉

1,980年代、日本は円安を武器に質の高い製品をアメリカに大量に売って稼いでいました。良質で安価な日本製品にアメリカ製品には太刀打ちできず、アメリカ経済は大きな打撃を受けていました。

そこでアメリカは円安から円高に誘導するために85年9月にプラザ合意を締結します。このプラザ合意の威力は凄まじく、1ドル230円だったのが1日で20円近く下落。さらに1年後には1ドル150円台まで円高が進みました。

ダウンロード出典:世界経済のネタ帳

今からしてみればどちらも超円安に感じますが当時の企業にとっては大問題でした。円高によってアメリカに製品を捌けなくなった企業は円高倒産します。円高不況です。その不況対策として日銀が行ったのが、「公定歩合の引き下げ」でした。金利を低くすることによってお金を借りやすくし、新しい事業で不況を乗り切ろうというわけです。

結果的に、円高不況はおさまり、日本は再び景気拡大へ向かいます。

しかし、残念なことに「公定歩合引き下げ」による副作用は大きく、お金が借りやすくなり、土地が買い漁られた結果がバブルにむかうこと。

バブル前夜の出来事

  1. プラザ合意による円高誘導
  2. 円高不況
  3. 公定歩合の引き下げ

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管理人
どうも、管理人です。

高校卒業まで東京で過ごし、大学から京都に来ました。京都や日本の魅力を伝えるブログにできれないいなと思っています。京都と就活記事とたまに政治経済を少々書いていきます。

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