前回は丸太町通りを歩いたので、今回は丸太町通りの1本南にある竹屋町通です。『まるたけえびす』のたけですね。
竹屋町通は東は平安神宮、西は千本通まで続く長い通りですが、今回はいつもの通り堀川通から寺町通までを歩きたいと思います。
丸太町通りは材木など丸太を運ぶための通りだったことが名前の由来ですが、竹屋町通の由来は何でしょうか?
「もしかして竹を運んだ道だからかな・・・!?」
と推測してしまいましたが、どうやら名前の由来は違うようです。堀川付近に竹屋が多かったことから竹屋町通となったそうです。
「竹で作った家しか建てられないってことは、屋町通周辺はかなり貧しかったのか・・・」
と、とても恥ずかしい勘違いをしてしまいましたが、竹屋と言っても竹で作った家のことではなくて、お寺や家に立てる竹垣などを作るお店のことだそうです笑
京都は良質の青真竹材料の産地だそうで、青竹の流通が確保されているそうです。
確かに歩いていると竹垣を目にしますよね。 それから、竹垣の他にもたくさん竹を使った柵のようなものがあるのですが、名前がわかりません。
いつも気になるのが家の前にある竹で作ったアーチ状の柵なんですが、あれは一体なんて名前なんでしょうか。。。。
友達と歩いている時も、「コレなんだったっけ?」ていつもなるんですよね。 調べてみると、『犬矢来』というそうです。
犬から家の外壁を守ることが名前の由来だそうですが、他にも強盗除けや馬車の水しぶきから家の外壁が汚れるのを防ぐ目的もありました。
京都らしい町屋を演出するオブジェとばかり思っていたのですが、そんな多目的機能があったとは・・・!?
また犬矢来の他にもを京町屋の特徴として『竹矢来』などがあります。竹は使っていませんが、駒寄、忍返し、虫籠窓、出窓、ばったり床几などは京町屋の特徴です。
竹屋町通にも京町屋が並ぶので、探してみると面白いかもしれません^^
さて、前回は丸太町通りを河原町通から堀川通まで歩いたので、今回は堀川通から竹屋町通を歩きます。 堀川を竹屋町橋で上がり、竹屋町通へ入ります。
堀川通から二つ目の通りに京町屋のカフェがあります。「栞栞カフェ」です。 何でも築120年を超す町屋だそうで、立派な格子が印象的です。
店名:栞栞カフェ(しおりしおりカフェ)
場所:京都府 京都市中京区竹屋町通小川東入東竹屋町422
営業時間:10:00~18:00
定休日:火曜
HP:http://www.obanzai-ichie.com/
栞栞カフェからまた2つ通りを歩いて、釜座通を少し北へ上がったところにもカフェが。こちらのカフェも町屋風の作りで大きな格子があります。ただ、その作りは栞栞カフェとは少し違いますね。
格子の上の方にすき間が開いています。これは『糸屋格子』といって採光に適しているので、色ものを扱う糸屋・紐屋・呉服屋などの繊維関係のお店でよく使われたそうです。 さらに歩くと、歴史がありそうな定食屋さんが出現。看板に掲げてある、『めん類丼物一式定食』の文字はこの通りでよく目にします。ただ、残念ながら現在は営業していないようです。
お豆腐屋さん。京都のおいしい豆腐がこういったお店で作られているんですね。
またしばらく歩くと烏丸通が見えてきます。その前にあるのが欧風堂。1本焼きで焼き上げる手焼きのバームクーヘンが有名で、全国から注文がくるほどです。
外観はレトロな洋菓子店といった感じで、2007年には創業50周年を迎えたそうです。
烏丸通に到着です。 烏丸通をすぎると、心なしか新しい建物が増えた気がします。
町家づくりの建物から、コンクリートやレンガ作りの建物が目に入ります。
問題です。この公園は、「こどもみらい館」の前にある公園で、いつも賑やかな公園ですが、なんという公園でしょうか。
たけまこうえん・・・!? ちくまこうえん・・・・!?
いえ、正解は、 ・・ ・・・ ・・・・ ・・・・・ 「ちっかんこうえん」です。
由来は竹屋町通と間之町通(あいのまちどおり)の南西角にあることだそうです。
初めて来た人で読める人はいるのか疑問です笑 なんでも、
地元の人でも、子供みらい館の前にある公園といった方がわかりやすい・・・・と言っているくらいなので、地元の人でもわからない人がいるかもしれませんね。 新しそうなお蕎麦屋さんです。
こちらは京都地方裁判所です。ちょうどお昼時だったということで、職員の方たちがランチに出かけていました。 裁判所を過ぎると、すぐ寺町通が見えてきます。
竹屋町通の終点にあるのが、西国三十三所にも指定されている『行願寺』です。
天台宗の寺院で、本尊は千手観音。西国三十三所の第十九番札所です。
行願寺よりも、『革堂』(こうどう)の名前の方が有名かもしれませんね。 お寺の前に大きな文字で『革堂』と書いてありますし、もともとお寺があった京都御苑の西には、革堂町という町名も残っています。
名前の由来はお寺を開いた行円という僧が、【皮聖・皮聖人】と呼ばれていたことでした。 行円は仏門に入る前は狩猟をしていたそうで、山で身ごもった雌鹿を撃ったところ腹の中から小鹿が誕生するところを見ました。
それから殺生の非を悟って仏門に入り、その鹿の皮をずっと身に着けていたそうです。 自分が仏門に入った理由を忘れないためにも鹿の皮を身に着けていたのかもしれませんね。
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